今のうちに考えてみた、フリゲコンテストへの向き合い方
ちょっと前に何気なく触れたこちらのツイートがちびバズ?(うちにとっては)しまして。特に大きな火種があったわけでもないんだ、蒸し返してごめんよ……。
なるべく原文を崩さず書いたつもりですが、個人の勝手な要約だけが広まるのはよろしくないな、発信した側がちゃんと根拠を示した方がよいかなと思ったのがこの記事を書いた始まり。
加えて、サークル活動をしていく中で、いろんなコンテストが終わったり、生まれたり、トラブったりするのを見てきて、自分の中で数年前から思うことがずーっとありまして。
8年活動すると、当時いたサークルも活動をやめていることが多くて、昔を知る人が少なくなってるんだなともふと思いまして、「こういうことがあったんだな」と残すことで、今後のコンテスト・企画が平和に発展したらいいなという思いでこれを書きました。
……といいつつ、この記事を書き終わってから公開まで半年経ってますが!
繊細な話なので、公開する踏ん切りがつかず……しれっと公開。
本記事の主旨としては以下の2つです。
- コンテスト参加者の行動が、コンテストの今後に影響する可能性がある
- コンテスト運営も、参加した制作者の心に影響を及ぼす覚悟が必要である
制作者さんはコンテストに参加する前や心に余裕があるときに、これから企画したいという方はその前に読んでいただけたら嬉しいです!(落選時に読むときついと思うので)
参加者の行動が及ぼす影響について考える
制作者にとって、フリーゲームコンテストは作品作りの目標、モチベーションになったり、遊ぶ側にとっても作品選びの指標となったりと、界隈全体が盛り上がるための欠かせない存在であることは間違いありません。
一方、落選して自分の作品が否定されたように感じたり、夢が叶わなかった絶望感、悔しさに打ちひしがれる人は、コンテストの特性上必ず出てくるもので、どうしても平和だけでは終わらない側面があります。
ただ、それを吐き出すとき、その書き方やぶつけ方によっては、見ている人を傷つけるだけでなく、コンテスト自体に影響を与えるということを知っておいてほしいなと思います。
「悔しいと書くことが悪いのか?」「しょうがないじゃないか」と思われるでしょうが、そういった思いを否定するわけではありません。悔しいと思ったら悔しいと言っていい。
ただし、批判的なレビューがその書き方によっては作者を傷つけるのと同じように、企画に対するネガティブな反応も、書き方によっては企画側を傷つけることがあります。
実際に過去、そういったことが原因で終了したコンテストがありました。
ふりーむ!ゲームコンテストについて
概要
ふりーむ!ゲームコンテスト(略称:ふりコン)は、2005~2018年にフリゲ掲載サイト「ふりーむ」が毎年開催していた、全ジャンルのゲームを対象にした大規模コンテストです。
金賞・銀賞のほかに部門賞が豊富で、未受賞作品でも審査員からコメントがもらえるのが特徴。
2018年度に開催した第14回の結果発表時に、それをもってコンテスト自体を終了することを発表しました。
終了の要因
終了発表時の発表では、要因について少し曖昧な書き方となっていましたが、実はふりコン終了の1年前である第13回の参加キャンセル期間、ふりーむから送られた参加辞退を勧めるメールの中で、ふりコン終了につながる直接的な言及がされていました。
※以下メール文面の引用がありますが、メルマガ等の不特定多数に対するメールの引用は著作権法上問題ないことを確認済みです。
コンテストの継続開催は「審査負担」「賞品負担」よりも、
- 2018年2月2日ふりーむよりメール『(追記あり・再送)【コンテスト参加者の方】(重要)該当する方は「参加キャンセル」をお願いします』
「最初に同意していた方が、あとから気分が変わって希望が叶わず、虚偽を含む情報を流布する・怒る」
「結果・審査員コメントに不満で攻撃的になる、罵詈雑言を送ってくる」
「受賞者全てに営業メール等を度々送る企業があり、受賞者から迷惑・不安だと連絡があり対処できない」
などの「心理的負担」が原因で、徐々に継続意欲が低下しています。
※3点目「受賞者~」については後のメールで訂正・説明あり→「多数の受賞者や、多作・ビジュアル面で強い受賞者を中心に、営業メール等を多々行なっていると見受けられる企業が複数あり、無視しても度々連絡があることや、金銭負担のある企画への誘因ケースもあり、受賞者から迷惑・不安等の報告を受けていますが、第三者の営業行為のため対処ができない状態」
「審査負担」「賞品負担(おそらく金銭面のこと)」よりも「心理的負担」が原因で継続意欲が低下していると、ここではっきりと明言されていました。
もちろんそれ以外の要因も複雑に絡んでいると思いますし、過去に社長さんがTwitterで参加作品の増加に悲鳴を上げていたことから「審査負担」があったのは確かですが、心理的負担が終了の大きな要因と考えてよいと捉えています。
①「最初に同意していた方が、あとから気分が変わって希望が叶わず、虚偽を含む情報を流布する・怒る」
ふりコンの規約は参加作品の取り扱いが厳しいことで有名で、その中でも重要なのがこの2つでした。
- 参加作品(未受賞含む)はふりコン終了後も、他の企画・コンテストへの参加不可
- 参加作品(未受賞含む)はふりコン終了後も、ふりーむでの公開停止不可
※現在はコンテスト自体の終了に伴い、未受賞作品のみ公開停止可に変更
キャンセルに関するメールばかりで心苦しいのですが、結果発表後に、あとから「不満を持つ方」「他コンテストに参加したくなる方」や、「様々なコンテスト参加のつもりはないが、後に他コンテストから誘われた」ために、後に規約違反をするケースが時折発生しています。
-2018年2月1日ふりーむよりメール『【コンテスト参加者の方】(重要)該当する方は「参加キャンセル」をお願いします』
規約違反そのものもトラブルではありますが、先の引用の「虚偽を含む情報を流布する・怒る」とあるあたり、それを受ける心理的負担もあったのだと推測されます。
結果に納得できなかった人の声
2つ目の「結果・審査員コメントに不満で攻撃的になる、罵詈雑言を送ってくる」。
作者からの声
ふりーむに関しては、2018年4月28日のメール(コンテスト「部門」賞の増減について)の中で、「以前『好み』で選んでいるとの指摘があった」「以前、改善点を指摘した審査員コメントへ激怒した作者がいた」とし、『選外・上位賞ではない理由がわからないことについて』と題して落選作品の傾向やアドバイスを細かに説明していました。
また本記事冒頭のツイートをしたとき、実は他の企画者さんからも「結果に納得できない人からの声が辛い」との反応がいくつかありました。結構小規模の企画でもあるようです……。
プレイヤー側からの声
制作者ではない見てる側(プレイヤー側)からも「なんでこんな作品が受賞しているんだ」と受賞者が叩かれることもあるといいます。過去テイビが参加したコンテストでも、企画を叩くための材料として、好きな受賞作が掲示板で長期にわたって叩かれているのを見たことがあり、歯がゆい思いをしました。
意外とそういう事態は運営側も把握しているようで、受賞者に対して心配のメールを出すこともあるとのこと……。
運営側も、作者を喜ばせるために送った賞が、誹謗中傷の原因になるとは思わないわけで。そういったことも運営の負担になるのではと思います。
開催側の意図と参加側の捉え方の齟齬
結果に対して、(程度に関わらず)ショックを受ける人、そして落選という事実を作品や作者自身の否定だと感じる人に共通しているのは、「受賞そのものに大きな価値を抱いている」点だと思います。
それを考慮してか、近年開催されているコンテスト企画は「お祭りだよ!賞はおまけだよ!」を強調しているものが多いです。
コンテスト規模が大きくなり種々多様なご要望が増え、全参加者への高い配慮が必要な傾向が高まりました。 個人時代としての流れの中で、「評価の場」としての位置づけとは異なるご要望が増え、当コンテストではお応えすることが難しい部分も増えました。
-第14回ふりーむ!ゲームコンテスト結果発表 総評より
ふりーむコンテストでは基本的な方針として、活動にあまり積極的では無い方がささやかに楽しめる場として、活躍・入賞の場を提供したいと考えています。
自力で積極的な活動を行なっている方は、コンテスト参加ではなく通常のふりーむ利用スタイルの方が、心地よく活動できるのではないかと思います。
- 2018年2月2日ふりーむよりメール『(追記あり・再送)【コンテスト参加者の方】(重要)該当する方は「参加キャンセル」をお願いします』
歴史の長いコンテストは、その歴史とともにコンテスト自体の価値も上がり、そのうち開催側と参加側でコンテストの認識に差が生まれやすいのでは、と感じています。
では運営がそういうスタンスを発信していれば、こういった悲劇を防ぐことができるのでは?と思いますが、そうではありません。
現在ノベルゲーム企画の最大手であるティラノゲームフェスも、賞要素はありつつも「お祭りの場」であることを強調して発信しています。
ティラノフェスはコメント投稿を中心とした交流が盛んであることが特徴で、今ではお祭りである認識も十分広まっています。
しかしそれを承知の上でなお、「お祭りなのはわかってるけど……」「感想をもらえたのは嬉しいけど、落選したことが辛くて立ち直れない。賞は特別」という声は毎年上がっています。
どれだけ運営が「賞はおまけ」と繰り返しても、賞の概念がある限り、そして企画が大きいものであればあるほど、制作者が受賞に価値を求めるのは避けられないように思います。
じゃあいっそ賞なんてなければ!!というわけにはいかないんですよね……。目標があるとモチベがあがりますし、いい部分がたくさんあるので。
公式賞がない年のティラノフェスのスポンサー賞
さて、いっそ賞なんてなければ!!ではありませんが。ノベルゲームコレクションで毎年開催されているティラノゲームフェス(略称:ティラノフェス、TGF)は、2024年開催分は公式から贈られる賞がありませんでした。
TGFは2021年にも、同様に公式賞がない形をとっていました。個人的な感覚ですが、ちょうどふりコンの終了も相まって、ノベコレやTGFが盛り上がっていくとともに、フェスへの要望やネガティブな反応も目に見えて増えていった中での形だったように思います。
公式賞がないことを惜しむ声も多くありましたが、落選することがないのでこの年は誰も悲しくことなく終わることができるのかな、と思っていました。
が実際にはそうではなく、公式賞がない分、本来公式賞に求められるはずだった『賞に付随する大きな価値』が、スポンサー賞に寄せられてしまう様子が見受けられました。
スポンサー賞とは、課金した人が自由に賞を贈ることができる制度で、2019年から公式賞と並行して行われており、公式賞ではカバーできない作品に光を当てる重要な要素となっています。
公式賞をお休みした2021年もスポンサー賞は継続して行われたのですが、「スポンサー賞を一つももらえなかった(=作品を否定された)」と大きなショックを受ける人が少なからずいました。これは公式賞があった年にはなかった反応だと記憶しています。
スポンサー賞はいちユーザーが自由に送ることができる分、当然公平性もないもので、そのうえでお祭り要素のひとつとして歓迎されている印象があったのですが、公式賞がなかったこの年だけは、その公平性のなさに不満を持つ声も数件見かけ、公式賞並みの価値をスポンサー賞が担わされてしまったように思います。
ちなみに公式賞がない形での開催は2度目となる2024年度は、スポンサー賞の名称が「スポンサー推薦」に変更されました。賞ではなく推薦という形を取ることで、上手くフェスの本来の主旨とのバランスが取れていたように感じます。
嘆き方の手引き
落選したら嘆いちゃいけないのか?辛いものは辛いんだ。そう思われる人もいらっしゃると思います。悔しさは創作活動の大きなバネになりますし、辛いという感情は止めることもできませんし、誰にも止める権利はありません。
ただし、内容によっては見ている人、そして企画側の心を傷つけ、企画の今後に影響を与える可能性があることは、心にとめておいてほしいなと思います。具体的にどんな内容か、について個人的な考えを述べます。
他者に攻撃的になること
上記で紹介していたのは、賞を選んだ人(企画側やスポンサー)・受賞者に対して攻撃的になる例です。
なんでこの作品が選ばれるんだという思いから、「賞にふさわしくない」と作品を否定したり(批判ではない)、「公平に選んでいない」「こんなの馴れ合いだ」と賞を贈った人の思いを否定する嘆き方は、個人的にはやめた方がいいと強く思います。
もちろん心の中で思うのはしょうがないですが、それを表に出すと高確率で刃となって相手の心に刺さる書き方だと思います。
自分自身に過剰に攻撃的になること
他者ほどではありませんが、自分自身に攻撃的になるときも、少し立ち止まって考えていただけたらと思っています。
単に落ち込む、創作意欲が一時的になくなる、くらいならいいと思うのですが、「死にたい」「もう作品を作れない」「どうせダメなんだ」とまで書いてしまうと、企画側にとっては「そんな思いさせたくないのに」と感じるのではないかなと想像します。
企画側からしたら、そういった極端な反応は「賞を贈る・贈らないの選択が、その人の創作における生殺与奪権を握ってしまう」というのと等しい状況になってしまうのではという懸念があります。「死にたい」なんてまさしくガチの生き死にの話なわけで。
……本当にそれだけで死ぬ人はいないかもしれません。しかし賞を贈らない人がいることで、その人の心や命に影響を与える可能性が少しでもあると思うと、自分が企画側だったら賞を贈ること自体が怖くなるな、と思います。
もちろんそういった思い自体は否定はしませんし、それでも表に出さないと自分の心を守れないという人もいると思います。元々の性格上抑えられないということもあるでしょうし、難しい問題です。
もし抑えられるなら、チラシの裏にとどめておいた方がよいかな、という感じです……。
もらった感想を無下にすること
「感想はもらったけど、賞がもらえなきゃ意味がないんだ!」
……んー、個人的には、これはやっちゃダメ、とまでは思わないです。上記2つほど、著しく特定の個人を傷つけるわけではないので……。
もちろん感想を書いた側としては「喜ばせたかったのに、書いた意味ないな」「今後は書かないようにしよう」となって、静かに人が離れていってさらに感想がもらえなくなりまた嘆いて……と自分にブーメランになるので、まあ書かない方がいいものではあります。
でも感想と賞は別物、というのも一つの考え方ではあるので。感想に謝意を持ちながら悔しがるのが一番よいかと思いますが、「感想なんて」と書いたところで「この人にとってはそうなんだー」と距離を取る、だけかなと個人的には思います。自己責任で済むやつです。
企画側の気持ち ※あくまで想像
うちは企画をしたことがないのであくまで想像ですが、企画側はそもそも「界隈を盛り上げたい」「作者を喜ばせたい」等という思いで企画をしていて、誰かを傷つけたいとは思っていないと思います。
賞を贈ることで、受賞者や落選した作者・界隈の人が傷つけられたり、何より賞を贈った人や企画者本人が傷つけられたとき。自分がコンテストを開催することで、こんなに傷つく人が出てくるんだ、自分が傷つけられるんだ、という思いが運営のやりがいを上回ったとき、コンテスト自体を終了する、という選択が取られるのではないかと感じます。
企画側も人間であることは確かなので、自分の思いと、少しの思いやりをうまく両立させられたら理想ですよね……なかなか傷ついているときは難しいですが。
自分の心を守る考え方
創作系の審査は審査員の主観で行われる
そんなことあっていいのか?!と思われるかもしれません。
もちろんコンテストを運営する方は、審査の際に公平性を保つことにかなり留意されているかと思います。
しかしどんなに気を付けても、審査員という個人の主観が入ることは避けられません。これは創作系の審査全般に言えることです。なぜなら「ホームランを打ったら1点獲得」のように、確実に感覚が介入しない採点方法がないからです。
そして人によって好みが異なるように、審査の基準も人によって異なります。
なので「落選=価値がない」ではありません!!あくまで、「審査基準に当てはまらなかった」だけ!
審査基準を想像してみる
うちの作品が過去に落選した時、これまでの入賞傾向から「立ち絵がない作品は入賞しにくいんだな」とか想像すると、「作品に落ち度があるわけではないんだ」とある程度納得できました。
翌年予想した審査基準を狙った結果落ちたとしても、「あ、基準変わったんだ」と思うと楽。つまり賞にこだわりすぎないということでもありますが……。
ご自分がいい作品と思ったなら、審査基準に関わらず、その感覚を信じることも大事!
入賞しなくても評価されているかもしれない
実際にあったことですが、うちの過去作で佳作にも引っかからなかった作品が、後日運営から「この作品のこのシステムはすごかった」とTwitterで反応いただいたことがありました。
審査基準の話にも通じますが、どんなにいい作品でも、性質上賞に引っかかりにくい作品はあると思います。泣く泣く賞から外した、という声も審査側からよく聞くので、その可能性を信じましょう。
もらった感想や、プレイ数のありがたみを噛みしめる
感想がありがたいのは言わずもがな(ありがたくないならしょうがない)。プレイ数も、考えようによっては心の拠り所になります。
個人的にフリゲ界隈を見てきて思うのは、同じ制作者は感想を残しやすく、プレイオンリーの人は感想を残さない(残しにくい)傾向にあります。なぜなら、感想を残すのは労力がかかる上に、良くも悪くも交流につながるため、交流が苦手な人にとっては感想を書きづらいからです。
感想がない=面白くなかった?と思われるかもしれませんが、どんなに面白くてもちょっとした理由で感想を書かなかったというケースは普通にあります。
なので「50人プレイしてくれたけど、この中の半分くらいは面白いと思ってくれたかも」と期待しても、間違いじゃないと思います。
参加者が持つべき敬意
ここまで書いておいて、実は当サークルはここ5年、コンテスト企画に参加していません。今後も参加する予定はありません。
コンテスト自体に思うところがあって参加を止めたわけではないのですが、コンテストから距離を取ったことで、作品への向き合い方が少し変わりました。賞という一つの物差しにとらわれず、感想一つ一つをより大事にして、作品をおおらかに受け止めることができるようになったと感じています。
そしてやはりこういった企画モノは偉大だなと。やはり企画に参加しないことにはプレイすらされにくいのが現実で、実際プレイされる数は格段に減りました。
逆に言えば、企画モノがあるおかげでプレイされる。評価をもらうきっかけがある。そこには運営の多大な苦労があって、言葉を選ばずに書くとその恩恵にタダ乗りさせてもらっていた身なのだと感じています。
プレイされにくい世の中で、作品が注目されやすい大きな場所を誰かが頑張って作ってくれている。厳しい言い方になりますが、その恩恵に自らの意思でタダ乗りしにいくなら、その場所が少しでも長く続く振る舞いをするのが筋なんじゃないか、そう思います。
参加することで傷ついてばかり。他人に矛先を向けたくなる。であれば、コンテストに参加しない選択肢もあり、そっちも決して悪い世界じゃないかもしれない、というのは頭の片隅にあると、気が楽になるかもしれません。
運営側に持っていてほしい覚悟
ここまで長々と書いたように、コンテストという誰かを評価して界隈を盛り上げる場は、大抵の場合悲喜交々が生まれます。
運営が「そんなつもりじゃなかった」「もっと楽しむことを重視して欲しかった」と言ってもおかまいなしです。賞という要素があればどんなに小さいものでも、必ずと言っていいほどそこに大きな価値を感じ、期待を寄せて参加する人がいます。
自分のする企画で、喜ぶ人がいる一方、誰かが傷つくかもしれない。筆を折るかもしれない。それを想定していますか? それでもやりますか?
個人的には、素人の創作界隈でこういったコンテスト企画は、生半可な気持ちで運営するものではないと思います。
企画は一人で作るものではなく、他人が思いを込めて作った1作品を使って、ひとつの「企画」というコンテンツを成り立たせるものだと思います。プレイヤーが主役の企画だからとか関係ありません。他人の作品を扱うという重みを背負った上で、責任を持って運営していってほしいです。
逆に、参加する側もなんでも飛びつくのではなく、信頼できる運営か見極めて参加するのが、最終的には自分の身や心を守ることにつながります。企画が自然消滅したり、そこで得た個人情報をもとに人を脅したりとかね、いろいろありますので……。
コンテストは本当にありがたいものですが、最優先は自分の心を守ることなので、心を守る付き合い方をしていきましょう!
間違っても、誰かを攻撃しないで!